夢の交差

 おでこをくっつけ合って一緒のベッドで昼寝をすると、そのときだけわたしと太一は同じ夢を見る。なぜかはわからないけれどそれがおもしろくて、いつしかお互いに休みの日のルーティンになってしまった。
 午後4時、目を開けると日の光は角度を変えて、わたしたちのくるまる少し薄手の毛布に影を作っている。ほのかにあたたかい。
 太一のやわらかい寝顔を数秒だけ見つめて、わたしはもう一度目を閉じた。

 虹の綿に色がつく。
 春の光がその綿を照らして、高く輝く点になった。
 空は青く、ビルのふちにまで鏡のように反射した。
 赤いオープンカーだ、男と女が二人で乗っている。
二人ともサングラスをかけている。見つめ合って、どこか悲しそうに笑っている。わたしと太一は横断歩道の手前で彼らを眺めている。
 少し年上にも見える彼らを、なぜだろう、まるで自分の子どものように愛おしく感じている。
 信号が変わり、その車はわたしたちの目の前を走り抜けていく。
 ゆるいスピード。
座席に積んでいたおおきな箱から、あの綿が風に乗り、舞い上がる。
 虹の綿に色がつく。それはさっきのと同じ、繰り返しで。
 あぁ、この景色だったんだ。
 空高く舞い上がっていくたくさんの綿。助手席の女はサングラスを外して、それを見ている。肩にくっついた綿を手で払い、男の耳元でささやく。

 夢から覚めるときはいつも、自分が一人ぼっちで寝ていたんだと一瞬だけ勘違いする。直後、太一が横で寝ているのがわかってほっとして、これもいつもと同じで。
 いつのまにか太一はわたしより先に起き上がっていた。自分で淹れたコーヒーを飲みながら、パソコンを開いている。わたしはベッドに寝そべったまま彼を見ている。
「車の写真?」
 わたしは毛布に潜り直して、問いかける。
「うん、さっきの夢のさ、赤いやつ、あれなんだっけって思って」
「外国の車っぽかったね」
「うん」
「あ、そうそう、その画像、そんな感じの、ちょっと古い車。あたしたちが子どものころ、見てたみたいな」
 だよな、と太一は納得したように息をつく。それからも検索を続けては、違うな、とか、これかも、とか独り言をつぶやいていた。
 わたしは薄目を開けてそっちを見たり、また眠たくなってきたりして。
 ふいに彼はこっちを振り返る。
「違うんだ、俺さ、なんか気になっててさ、なんか見たことある町だったんだよね、絵奈もそう思わなかった?」
「思った」
「でしょ」
「あれってもしかしてさ、環七とかその辺じゃない?」
 わたしがそう言うと、彼は真顔で何度か頷く。
「それなー」
「ね、しかも、高円寺くらいのとこ。こないだあたしたちタクシーで通ったじゃん」
 その場所に、今度行ってみようと約束した。
 次に休みが合うのは一か月後とかになりそうだったから、外は今くらいの暖かさでいてくれないのかもしれない。
「あたしさ、あの綿の色見てて思ったの」
「うん」
「なんかさ、あの、助手席の女の人、あたしと同じなの、子どものころ、あの色見たことあるなって思って、それでさ、きっと涙が出そうになってたの」
「女の人が?」
「うん、そう」
 テレビをつけると、そこにはわたしたちが見たことのない痛ましいニュースが流れていた。事故に巻き込まれて亡くなった子供の母親はわたしと同い年だった。
 誰も悪くない、なんて。
 わたしは無理やり彼からリモコンを奪い取って、消した。
「見てたんだけど」
 太一は怪訝そうな顔で、わたしを見つめる。
「知ってる」
 わたしはまっすぐに太一を見つめたまま、そう答える。

「えっと、それ、買ったの?」
「うん」
 わたしの両手にちょうど収まるくらいのサイズのミニカー。こないだの夢に出てきた車とたぶん同じだ。あえて値段は訊かなかったけど、細部まで作り込まれていて、なにやら相当のものっぽい。
「探すの苦労したんだ、瀬名にも手伝ってもらって、一緒に」
 太一はいろんな向きにそれを傾けて、静かに眺め入っている。
「嬉しいんでしょ」
「うん」
 その返事は子どものように素直だ。
「カッコいいね」
「もっと言って」
「カッコいいねー」
 太一は満足げに、でしょ、と笑う。
 新しく買ったらしいディスプレイケースにそれは入れられて、彼の自室に飾られた。

 わたしたちはやっぱり少し違ってるんだなって、そう思う。
 夢なら、夢のままにしておけばいいのに、また同じ夢を見たいなんて、考えたこともないのに、なぜ目の前に置いてしまうんだろう。
 わたしは、もうあのミニカーを見たくなかった。

 男の子と女の子だ。広い家の中で、かくれんぼをして遊んでいる。
 女の子は白いカーテンにくるまり、飛び出た足元を隠そうともせず、じっとして、見つかるのを待っている。
 男の子は自分の番だと勘違いして、母親のクローゼットに忍び込み、内側から扉を閉じる。
 ずっと時間が流れて、いつしか男の子は暗闇の中、とても不安になる。夜のその時間、母も父も帰ってこない。もしかすると空には満月が浮かんでいるかもしれない。男の子はだけど自分の番だから、そこから出ることができない。
 ずっと数をかぞえていた。クローゼットの中の埃をこすると色が出て光った。それは虹色の綿になって、男の子の胸元を照らして消えた。
 男の子を探して家中を歩き回っていた女の子は、その光を隙間から見つけて、あわててクローゼットの扉を開けた。

 見つけた! ほら、一緒に行こう?

 女の子は男の子の手を取って玄関を出る。
 靴は適当に大人のを履いて。ぶかぶかで、歩くたび、何度も脱げてしまった。
 ガレージには赤い車があった。父親がいつも乗っている、赤いマスタングのコンバーチブル。二人は扉によじのぼり、男の子は運転席へ、女の子は助手席へ乗り込んだ。男の子はおそるおそるキースイッチを入れた。エンジンが低い音でうなった。
 もう帰ってこないから、と男の子は言った。
 うん、そうして、と女の子は言った。

 翌朝目を覚ますと、いつもはわたしより起きるのが一時間くらい遅い太一が、珍しく起きていた。慌てた様子で、部屋中を歩き回っている。
「どうしたの?」
「ない」
「なにが?」
「マスタング」
「ミニカー?」
「うん」
「うそ」
「マジ」
 見ると、たしかにディスプレイケースの中は空っぽになっていた。塵ひとつまで昨日の夜見たときのままなのに、中のミニカーだけが消えていた。
 二人で家中を探し回ったけど、遂にそれは見つからなかった。
 太一は口をあんぐり開けて、もう言葉も出ない、という風に、ベッドへ寝転がる。
「ねー太一さ、昨日さ、おでこくっつけとけば良かったね」
「なんで?」
「夢、見た?」
「見てない」
「でしょ?」
 いつもの怪訝そうな顔つきになってきた太一。わたしはあわてて、ごめん、と謝る。
「夢の話、するね」
「なんで」
「いいから、あ、あとね、聞いて。今度デートするときさ」
「            」
「              」
 時間がもうない。
 朝ごはんも食べないまま、急いで玄関を出る。

 十数年間走り続けたマスタングは今でも平気で動く。
 何度か修理に出したことがある。そのたびたくさんのお金がかかった。だからわたしたちは今でも、すっからかんで生きている。
 いろんな街を走ってきた。いろんなことをして、なんとか稼いできた。あの日、家中を漁って分別なくトランクに詰め込んだ物たちのおかげでもある。このサングラスだってそうだ、ママがよくかけていた。売ってしまえる物がなくなっても、これだけは手放したくない。
 今走っているこの東京の街は、どこか懐かしい。
 見たこともないのに、訪れたことはあるような気がする。空はとても狭く、道も狭いし通りづらいから、早く出ていきたいけれど、まだずっと走っていたい、そんな不思議な気持ち。
 わたしたちはなにかを待っている。
 走っていく先に、いつもそれがあると思っていた。

 どうかした?

 ううん、べつに

 そのとき、日射しのような光が目の前を通り抜けて、だれか違う人の記憶が飛んできたような気がした。退屈で、ほのかに花の匂いのする記憶。
 わたしはおもわず首をかしげてしまった。
 横断歩道の前で二人の男女が手をつないで立っている。
 二人はわたしたちのマスタングを珍しそうに眺めている。
 わたしは、わたしと彼は、たしか、あの人たちのことをよく知っている。
 いつかお礼を言わなくちゃ。
 信号が変わった。
 アクセルを踏むと、虹色の綿をいっぱいに詰めた箱は留め金が外れてしまい、高く空に舞い上がる様子を街中の人が見ていた。


初出:note 2019年5月頃