執筆に煮詰まってきたときはベランダに出て、風に当たりながら缶ビールを飲む。
休みの日の朝、つけっぱなしにしたテレビ、同じような話題ばかりで飽きたときはベランダに出て、風に当たりながら缶ビールを飲む。
特になんにも考えてないとき、ベランダに出て、風に当たる(飲むときもある)。
銘柄はキリンラガー、渋いねってよく言われるけど、これしか飲んだことがない。うちの地元では今でも一番人気なのかな。
わたしはただ空を見ている。
東京の空は窮屈で、ほとんどビルやマンションに埋もれてしまってる、なんだかとても苦しそう。
来週にはもっと暑くなるらしい。
今くらいがちょうどいいのに、願わくば気温だけでも止まってほしいとさえ思う。
なんて、わかった風なことを書いてみて、今日もひっそりと悦に浸る。
わたしはたまに趣味で小説を書いたりすることもある普通の会社員だけど、いまだに納得のいく作品ができたことはない。小説って、呆れるほど難しいのだ。
たとえば一般的な小説では登場人物同士の会話文が延々と続くのはあまり良くないとされていて、だいたいは合間に風景描写とか、話している人物がタバコに火をつけたりとか首をかしげたりとか、そんな何気ない仕草を差し挟むことで、単調になるのを防いだりするんだけど。
その会話文の合間埋めでわたしが頻繁に使うのは、「○○(主人公の名まえ)は空を見上げた」とか「わたしは思わず空を見上げた」とか空を見上げる描写ばかりだったらしく、こないだ書いた短編では8回も使ってて軽く落ち込んでしまった、ほかに書くことないのかよって(笑)
とにかく外に出てればわたしの小説の登場人物は空を見上げてしまうのだ(苦笑)
だってほかに思いつかないじゃん!
じゃあたとえば会話のたびにタバコに火つけてみてよ、ここ雀荘かよってなっちゃうじゃん(苦笑)
あーあ。
そして今もわたしはベランダで、ぬるい風に当たりながら、空を見上げてる。
なんにも考えないでいるこの時間の罪深さが、気持ちいい。
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「あ! あー!」
わたしの悪い癖、考えるより先に声が出てしまう。背もたれのない質素な椅子から転げ落ちそうになった。目の前の空も、わたしの視界とおんなじようにカタカタゆれた。
そうだ、今、10年ぶりくらいに思い出してしまった。
スカイ・フィルム。
最近ずっと抱えてたもやもやの正体って、これだったのか。
「えっと、近田さん? 大丈夫ですか?」
隣のベランダから声が聴こえる。
「あ、ごめんなさい! あたしほんといつもうるさくて、すみません」
「慣れました、大丈夫ですよ。近田さん今お酒飲んでます?」
隣の中村さんは同い年の男の子(っていう年でもないかもしんないけど)。優しい声をしてるから、こうして顔を合わせないでベランダ越しに喋るほうが好きだ。
って、ひどいこと言ってる?
「飲んでますよ」
缶ビールを飲み切った直後に声を発したから、喉をしゃくり上げたような変な声になってしまった。かなり恥ずかしい。
「やっぱり」
と、中村さんも苦笑い。
「あのー中村さん、突然なんですけど訊いてもいいですか?」
「いいですよ」
「中村さんは、 スカイ・フィルム って覚えてます?」
「ん? スカイ……なんですか?」
「スカイ・フィルム。昔流行ったじゃないですか?」
「あぁ、あれでしたっけ? 空の写真撮るやつ」
「そうそう! やば! やっぱ知ってますよね? 使ってました?」
「僕はやんなかったですけど、当時の彼女が。好きなバンドの歌詞入れたりとか、みんなやってましたよね。たまに失敗してるのとかありましたよね? 白い雲に白い文字重なっちゃって、ぜんぜん読めなかったりとか」
「あーそうそう! うわーめっちゃ懐かしー……」
「いきなりどうしたんですか? 僕も10年ぶりくらいに聞いたんですけど」
中村さんはおかしそうに笑ってる。
「なんか急に思い浮かんだんです。って、あたしめっちゃ変ですよね?」
「いえ、そんなことないと思いますけど。たまにありますよね、なんかこう、いろいろ、急に思い出したりすることって」
あれ? もしかして今、中村さんって、空を見上げながら喋ってる?
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毎日撮っていた空の写真は、わたしが高校時代使ってた携帯電話に保存したままのはずだ。
わたしは夢中になって部屋中を漁ってみた。だけどそういうときに限って見つからないのだ。
なぜか最近は記憶に急き立てられている気がする。
令和がはじまったからとか、30手前になってどうのとか、たぶん関係ない。
わたしが、わたし自身がずっと抱いてる「風景コンプレックス」的なやつが、また暴れ出してしまってるのだ。
スカイ・フィルムなんか思い出したのも、きっとそれが原因なのだ。
なんにも考えず遊んでばかりいた、今の自分が見たらビンタしたくなるくらいに呑気だった十数年前。
たくさん写真を撮って、プリクラも撮って、なんなら怪しいポエムだって夜な夜な作ってたような気がするのに、この部屋のどこにも、欠片も埋もれてない。
わたしは項垂れたまま窓を開けて、ふたたびベランダに出る。
「います?」中村さんを呼びかけると、
「いますけど」と、いつものように答えてくれて。
「ちょっと、あの、小説、みたいなのだと思って、少しだけわたしの思い出話、聞いてくれませんか? 少しだけ」
「ど、どういうことですか?」
わたしのお願いを受けた中村さんは、困ったというよりも、むしろわたしの慇懃無礼な言い方がおかしかったようで、二秒くらい、けたけたと笑ってた。
「いーから! 予定あります?」
「暇なんで録画したタモリ倶楽部見ようと思ってました」
「じゃあやっぱり、ちょっとだけ時間割いてもらえます? あたしのために」
「はい、まぁ、はい」
「わーやったー! ありがとうございます!」
ふっとちいさく息を吐いて、わたしは話し出そうとする。
記憶をたどっていけばいいのだ。簡単なことだ。
人生史上いちばん呑気に生きてたあの時代を、思い返して。
長くなるかもしれませんよ?
どれくらいですか?
それは言えません、今から思い出すんだし
そのとき、わたしはきまりごとのように、この空を見上げた。
高校時代、二人だけ友だちがいた。ジンとヒロってわたしは呼んでた。
ジンは事情あって野球部をやめた翌日から茶髪にして髪を伸ばし始めたくらい、正直でわかりやすい男の子。ちなみにクラスいち背が高い。ヒロは、わたしとジン以外のクラスメイトが声も聴いたことないくらい無口で音楽好きな男の子。
わたしはわたしで、教室のど真ん中の席で太宰治読んでる遅れてきた中二病みたいな女。
傍から見ると不格好な三人組だったけど、クラスで居場所がない者同士、気がつけば一日中つるんでた。
あるときからわたしたちは、放課後にも集まって過ごせる場所を確保するためだけに、実体のない同好会(名目がなんだったかはもう忘れた)を無理やり作り、部室として三年三組の教室を手に入れた。プレステとモニター用の古いテレビなんかも運び込んで、夕暮れになるまで遊んでいた。
ジンは『SHELTER』っていう今でいえばオープンワールドの先駆けみたいな、宇宙船に乗って惑星を旅するRPG(今はなんかゲーセンで流行ってるみたいだけど)をプレステでやってて、わたしはコンビニで買ったお菓子を頬張りながらそれを見てる。
ヒロはヘッドフォンを被り、机に突っ伏したままずっと音楽を聴いてる。ヒロの行動に至っては休み時間とほとんどおんなじ。
彼の趣味はなかなかすごくて、こんな田舎に住んでてよく見つけたなっていうような変な実験音楽みたいなのが好きだったらしいけど、ヘッドフォンを奪い取って聴いたわけでもなく、実はあまりよく知らない。
この教室は南校舎の三階で、窓からグラウンドが見下ろせる位置にある。
運動部の練習風景を眺めながら、あたしたちこんなぼけーっとしてるのにね、あいつらがんばってるねって、謎の優越感に浸ってた。
ぼけーっとしてたのはわたしだけかもしれないのにね。
そんな夕暮れ前の時間が好きだった。
一日のうちでいちばん、空の景色が目まぐるしく変わっていくから。
あの十数年前のわたしは、喉をひくつかせて笑いながら、空を見上げてる。
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「スカイ・フィルム?」
「そー、懐かしいでしょ」
「いや……なんだっけそれ」
「え?」
「なに? 映画かなんか?」
ジンに電話をしたのはその日の晩。わたしが昔使ってたあの携帯返せって、遠く離れた場所で暮らしてるジンに言ってやったんだ。
ジンは本当にスカイ・フィルムを知らないようだった。いくら説明してもピンと来てない。
「うそでしょ? あたしいっつも空の写真撮ってたじゃん」
「んー? いや……しょっちゅう空見てたのはさ、なんとなく覚えてるけど。写真撮ってたとかは、覚えてない、マジで」
二人で会話するのは久しぶりなのに、なんかふれちゃいけない話題でも出したような気まずい雰囲気になってしまった。それから数分で、なんとなく会話は終わって。
電話を切ったあと、ちょっと心配になったわたしは、Googleで『スカイ・フィルム』を検索してみた。あの懐かしい公式サイト……あれ? 出てこない。
もしかすると『スカイ・フィルム』という名称自体を間違えてるのかもと考えて、『空の写真 サイト』とか『ガラケー 空 写真』とか『ガラケー 空の写真 投稿サイト 文字を入れる』『iモード 空 写真 歌詞』とかいろいろ検索ワードを変えて試してみた。だけど、それらしきものはやっぱり出てこなかった。
こうなるといよいよ、ジンが預かっているはずのわたしの携帯電話にしか証拠は入ってないことになる。
もう一度、ジンに電話をかけた。
「あたし明日そっちもどるから。あたしの携帯、あるでしょ? 用意しといてね」
あれにはわたしの記憶がたくさん入ってるのだ。
わたしはそれを独り占めしないままには、いつまでも眠れない(眠れないわけじゃないけど、ぐっすりは眠れない)。
暮れかけてきた空を、わたしは今も見上げてる。
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新幹線の中は静か過ぎて、異様で、なんだか生きた心地がしなかった。昨日までの慌ただしく働いてた忙しさが嘘みたいだった。
声だけで流れてくるニュースも、まるで別の世界の出来事。
ここに乗っているあなたがたとは関係ありませんが、と、前置きされているかのようだった。
「小説を書くのは、あなたにとってそんなに大事なことですか?」
そのニュースを読むお姉さんの声で、問いかけられているように感じた。
わたしは答えることができない。
わたしが大事なのは文章の連なりではなく、記憶なのだ。
だけどそれを伝える力がないから、こうして無理やりに記憶を覚まそうとしている。
もう少し思い出そう。
まだあっちに着くには時間がかかりすぎる。
わたしは車窓から、流れる空を見てる。
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「付き合お」
「え、俺と?」
「うん」
たしか、帰り際、ヒロと別れて、ジンと二人きりになった直後だったと思う。
一言一句、言葉の合間の息継ぎまで覚えてる。二人とも、めちゃくちゃ顔がこわばってたと思う。ぎこちなさ過ぎて、今考えるとちょっと笑えてくる。
お互いの頭の中には間違いなくヒロの存在があって、ジンはたぶんわたしを守るためじゃなく、わたしとヒロとを天秤にかけてわたしを選択しただけだと今でも思っている。
そうしてその場で晴れて彼氏になったジンに、家の近くまで送ってもらった。あの踏切の手前まで。
わたしは空を見上げて、寂れた鉄路の向こうがその景色に混じる。
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三人組はある日突然結成されたわけじゃなく、そもそもわたしとヒロが一人ぼっち同士仲良くなったのが始まりだった。ジンとの三人組になったのはそれから数か月してからだった。それ以来、ヒロと二人きりになったことはなかったと思う。
だからたぶんヒロはそのタイミングを逃したくなくて、それはわたしが言うのもなんだけど、とても一途な感情でしかなかったはずで。
あのころ、なんにも生き方がわからなかった無防備なわたしに辟易するけれど、その感情は結局どこにもぶつけられないで終わった。
「そういうの、だめなんだよ」
わたしはヒロに言った。そのときのわたしは恐怖心で頭がいっぱいで、なんにもいい言葉が出てこなくて、でもわたしは精一杯の悲しい顔、失望したって顔を、ヒロに見せつけた。
びっくりしたのと、あぁこういう人なんだっていう諦めが交錯した。
放課後、いつものように三年三組の教室に三人で集まってたとき。教室の隣にあるトイレ、終わって、個室から出ると目の前にヒロの姿があった。混乱してしまい硬直しているわたしの身体を彼は両手で抑えつけた。顔をわたしに寄せて、近田、と、吐息と間違えるくらいのちいさな声で、初めて名まえを呼ばれた。
その直後、ジンが教室から席を立ち、こっちに歩いてくる足音が聴こえてくると、ヒロはわたしの身体をすぐに離した。赤く腫らした目とか、体温の上がりようとか、あんなヒロは見たことがなくて、直後に鈍い吐き気が襲ってきて。
わたしはヒロを振り払って女子トイレから出た。困惑した表情を浮かべるジンと目が合った。帰る、と一言、ジンに告げ、その日はほんとうに帰宅した。
自分の存在が誰かの中で生きていて、いろんなことを思われてるってことに吐き気を覚えながら、どこかでそれを望んでいたような気さえする。
ぐちゃぐちゃで、だけど絶妙に混ざり合ってない。
とても居心地の悪い感触、わたしたち三人は気づかないうちにそうなっていたのだと知った。
わたしはさっき書いた通り、数日後にジンと付き合うようになった。
三人組、はあっけなく解体。ヒロはまた教室で一人ぼっちになってしまった。
えっと、その日も空を見ていた。もう真っ暗だ。
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記憶を巻き戻していく装置があればそれはとても美しいと思う。
自分が意思を持ったぐちゃぐちゃの人間じゃなく、なにか、なんだろ、なんにも考えない純粋なひとつ、になってくような錯覚、しそうじゃん。
生きてるかぎりぐちゃぐちゃは増えてくだけで、わたしはそれを愛しもしないし、まぁこんなところかって折り合いをつける気にもなれない。
どうしてこんなわたしに構う人がいるのか、わからないようでわかる。言葉にはできないけど。
わたしには身体があるって、ただそれだけのような気もしてる。
ごめん、哲学的なことを言いたいわけじゃない。
学校の近くにちいさな稲荷神社があって、そこにもよく三人で居座ってた。ジンとヒロがキャッチボールしてるのを、わたしはコンビニで買ったお菓子とかアイスを頬張りながら見てる。まぁ普通に罰当たりな奴らだ。
夏は蝉が尋常じゃないくらいうるさく、汗も流れた。
わたしはそのキャッチボールの時間を、ジンとヒロを二人きりにさせてあげる時間を見てるのが好きだった。
たぶん、ああいうのが起こる前までわたしは二人ともを等しく、じゃない、それぞれを、好きだった。
「いつまで続けるの?」
って、わたしが笑いながら訊くんだ。
そしたらジンは、わかんねー、とか適当なこと言って、でもとても嬉しそう。ヒロは唯一、その時間だけ笑顔を見せるのだ。
空? 見上げたよ、きっと。
駅の改札を出てロータリーまで歩いていくと、見慣れない車が停まっていた。車の窓を開けて顔を出したジンは、少し髪が伸びて昔と印象が違う。なんか大人って感じ……カッコいいじゃん。
「乗って」
「うん」
「いや……お前、淡々としてんな……なんだそれ。振り回されてんのこっちなのに」
「あーごめん、なんか新幹線と特急乗り継いで揺られてたらさ、なんか妙に落ち着いちゃった」
車に乗り込んで5分ほどで、ジンが住んでるマンションに着いた。市内に引っ越したこともそのとき知った。
ソファに座らされて冷たい麦茶を出してもらうなり、わたしは、携帯電話用意してくれた? と、自分でも呆れるくらい単刀直入に切り出した。
ジンは渋々机の上にあらかじめて置いてあったそれをわたしに手渡す。
「じゃ、もう帰るか?」
「ちょっと」わたしはちいさく笑う。「なわけないでしょ」
見てもいないのにテレビをつけて、それからわたしたちはお互いの近況を話した。
というか、ほとんどわたしが一方的に。
最近ちょうど20個年上のパトロンがついたこととか(ほんとうは彼氏って言いたかったのにジンには言えなかった)、相変わらず小説はなんの生活の足しにもなんないのに書き続けてることとか、隣の住人が同い年の男の子でいつもベランダ越しに会話してるけど、共用廊下ですれ違うときはなぜか気まずく感じちゃうこととか。
ひとしきり話し終えたあと、わたしはヒロのことにもふれた。ジンに怒られるかもしれない、なんて思いながら、おそるおそる。
とはいえ、もうヒロはわたしたちとはとっくに疎遠になっていて、テレビやYouTubeでしか見ることのできない、雲の上の存在だ。
「そーいえばさ、ヒロって最近すごいよね。新曲がYoutubeで1億回再生突破したんだって、こないだニュースになってた。あとほら、東京オリンピックのテーマ曲? みたいなの作るんだって、すごいよね」
「ん、ヒロ? ヒロっつった?」
「うん」
「お前、やっぱなんか疲れてんの?」ジンはまじまじとわたしを見つめながら「死んだじゃん、卒業してすぐ」
「え? ヒロだよ?」
「だから、うん……やっぱチカ、疲れてんだな」
携帯電話は当たり前だけどそのまま電源入れてもつかなくて、渋々近くのドコモショップで充電コードを買ってきた。差し込むと一応充電ランプが点灯したけれど、それから画面が立ち上げるまでほぼ一晩かかった。
翌朝、まだジンが隣で寝息を立てているベッドの中、身体をもぞもぞさせながら携帯電話の電源を入れた。
「ねージンさぁ、これちゃんとマットレス入ってんの? めっちゃ硬いんだけど」
「入ってないわけねーだろ……」ジンは目をつむったままつぶやき、数秒後、また寝息を立てる。わたしが話しかけるとちゃんと起きてくれるのも、あのころと変わってない。
朝の光がゆっくり入ってくる。そんなに焦んなくていいのにって、その空を見上げてるわたし。
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数えきれないほど溜め込まれた写真の中に、空の景色なんてひとつもなかった。
いつもの放課後、三人でいたときの写真、そればっかりで。
わたし……わたしの写真か? これ。
なんか、わたしじゃないみたい。
だれか違う人みたい、知ってるような気はするけど、こんなわたしに会ったことはない。
あんた、だれ? なんでジンとヒロと、あんたが一緒にいるわけ?
空が晴れてくる。
あ、見上げたよ、もちろん。
見上げた。
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「だってきれいじゃん、ジンにはそういうさ、詩人のこころ? ってさ、ないの?」
「詩人? ないけど、ないない。今どきチカみたいに小説とか読んでうっとりしてるやつなんかいねーよ」
わたしはむきになって思わず手に持っていた物、それがなんだったか、咄嗟に雪駄を脱いで投げたのか、もっと痛そうな物だったのか、忘れたけど。
でも、そうしてジンを物で(軽くね、軽くのつもり)殴った、その瞬間に涙が出てきたんだ。
自分の言葉に自信が持てない、ふがいなさかもしれないね。
空、はい、見上げた。
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教室のすみっこに一人でいるヒロを見たとき、なんか同じ雰囲気を感じたんだ。ずっといなかった友だちができそうって、勝手に。
桜が散り切ってすぐくらいの、ぼんやりした生暖かい季節だった。
一人ぼっち同士、でもわたしはヒロほど強くなくて、たとえばそのさみしさとかやるせなさを共有できる人が欲しくてさ。
勇気を振り絞るべきなのは今、このときだって思ってさ、放課後、わたしから話しかけたんだよね。
いつもみたく、ヘッドフォンかけっぱなしで、机に突っ伏してたから、わたしはヒロの指をちょんちょんって軽く叩いた。ヘッドフォンには触れないよ、高そうだったし、きっと彼がいちばん大切にしてるものだろうから。
音楽、好きなの? って。
そしたらヒロは、びっくりしたような顔をして、うん、って頷いたよね。
はい、空。
はいはい。
「やっぱり、あたし……写真なんか撮ってない」
わたしは放心状態のまま、だれかに言わされてるみたいにつぶやく。
「でしょ? 東京で働きすぎて疲れてんだろ、ゆっくりしてけよ」
そんな台詞めいた言葉をジンが発したのにも、少し驚いた。
わたしたちはもう、ぐちゃぐちゃになってさえいないのだ。
なんだか虚しい、ほんと虚しい。
「チカは変わんねーな」
「なにが」
「年中反抗期みたいなさ。……なんつーか、こう、なんだろうな」
ジンはちいさな冷蔵庫の扉を開け、缶ビールを取り出す。
「ジン、飲めるようになったんだ?」
「チカの影響。ほら」
そう言ってわたしに1本くれた。
「ありがとー」
「タバコもまだ吸ってんの」
「うん」
「あっそ、換気扇使っていいから」
「うん」
空ね、はい、カーテンの隙間。
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「チカ」
「え? え? あたし?」
「なんだよ、近田ってなんか呼びにくいだろ」
「どうせなら名まえで呼んでよ、あたしの下の名まえ知ってる?」
「知ってるけど言わねー」
「なーに、それ……あ! ヒロ笑ってるじゃん! ほら! ジンくん見て! ヒロ笑ってる!」
「あの、今俺のことジンくん、つった?」
「言った! だめ?」
「呼び捨てでいーよ、べつに」
少し前までクラスの中心人物だったジンは、野球部を辞めるときにもめたりとか色々あって、いつもつるんでた野球部やサッカー部の子たちとも口を利かなくなって、孤立してた。
そんなとき、二人ぼっちのわたしとヒロに話しかけてくれた理由は、すごく単純なものだったらしい。
「ほら、お前らしかいなかったんだよ、そんときの俺でも構ってくれそうな奴って。それだけ」
ジンらしいや。
放課後の三人しかいない教室にゆるい風が当たって、染みのついたカーテンが揺れてさ。
わたしは恥ずかしいんだ、そういうとき、二人の顔をまっすぐ見るのが。
逃げるように、はい、空を見上げた。
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今のわたしがあのころのわたしに会いに行けるならば、ドラマみたいになにか有難い言葉をかけるでもなく、作家になんてなれなかったよって未来を予言するでもなく、ただこっそり見守ってたい。
掃除用具入れの中にでも隠れて、ずっと見ていたい。
わたしは泣いてしまうだろう。あんなにもぐーたらしてるのに、あんなにも真剣に生きてる。今よりもずっとずっと、生きて呼吸をしてたわたしに。
きっと今の自分の中途半端さと比べてしまって、情けなくて涙が出ちゃうんだろう。
時間が巻き戻ってるとき、だからわたしはもうずっと楽になれるならそれでもいいやって思ってた。
わたしは、うわごとみたいな世界の中、もう一度、いつのまにか、ジンとヒロがいるこの場所にもどってきてた。
生まれ変わったわたしは、空の写真を撮るかわりに、今までのことをぜんぶ書いて、小説にした。
原稿用紙なんてのがどこで売ってるのかよく調べもしないで、ノートにずっと書いてたんだ。
「できた」
「なにが」
「小説! ほら、ヒロも! ヒロとジンとあたし、みんなが出てくる小説」
わたしはそのノートを空に透かすように、ぺらぺらとかざしてみた。
風でめくれて、わたしの髪にも少しふれた。
まだ巻き戻り続けるの? やだなぁ、止まってくれればいいのに。
空だよ、空。
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空を見上げてる。
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空を見上げてる・
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空、を、見上げてる 。
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「なに、あたしのこと見てる?」
からかうように言うと、ヒロはあわてて首を横に振る。
「空見てただけ」
「うそだぁ、絶対あたし見てたでしょ」
「雲が動いてる……ほら」
「あー……ほんとだ、めっちゃ動いてる……てゆーかヒロさ、よくそんなの見てんね」
わたしのその言葉をどう捉えたのかはわかんないけど、また机の上に突っ伏してしまった。
わたしはそんなヒロと、窓から広がる空を一緒に写真に収めようと、携帯電話をこっそり向ける。
「ねーえ、ヒロ……あ、返事しなくてもいいんだけどさ、聞いて。……あたし公募に出してみようと思ってんの、こないだ読んでもらったやつさ。入賞したら即デビューなんだよ、すごくない?」
ヒロは寝たままで、ゆっくりとうなずいてくれた。
「タイトルも決めたよ……スカイ・フィルムっていうの、どう? あ……どう? じゃないや、べつに返事しなくていい、聞いてくれてありがと」
「……いいんじゃない」ヒロの声は、いつもふるえてるみたいだったんだ。
「でしょ?」
わたしは机と同じくらいの目線にしゃがんだまま、口元を喜びでゆるめながら、たくさん写真を撮った。カシャカシャって、チープなシャッター音。がらんどうの教室と、ヒロと、空の写真。
空ってべつにさ、ほんとはそんなにおおきくもなくて、わたしたちを包み込んでくれたりもしない、ただの空気の塊。
実際そんなに青くもないしね。
悲しいよね、そんなものにすがって、小説まで書いちゃってさ。
悲しいよね。
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「っていう、お話。……って、あれ? 中村さん、いる?」
「聞いてましたよ」
「あ、ありがとうございます。……あのー……どうでした?」
「うん、なんか、そうですね、優しくていいお話でした、よくわかんないとこもあったんで、今度……紙かメールで送ってもらえますか?」
「わかりました、ごめんなさい、ほんとわかりづらいですよね」
わたしはそう言われるのも密かに嬉しくて、つい笑ってしまう。
「えっと、全部あたしの妄想ですよ?」
「うそだぁ」中村さんはまたおかしそうに笑って、「いっつも、そうやってごまかすんですね」
「え?」
「ん……えっと」
「え? なんて言いました?」
「あ……僕、今、変なこと言った。ごめんなさい」
それから、妙な沈黙。
違う、こっちがしゃべらないでやったんだ、怒ったふりして。
「あのー……」中村さんがやっと口を開く。「今度ごはん食べに行きませんか?」
「え、行く行く! どーしたんですか急に」
「いや、顔覚えてもらってないかなって思って」
「なにそれ」わたしは笑ってしまって「なんで? 廊下で会うとよそよそしいから?」
「はい。声だけしか覚えてもらってないんじゃないかなって」
「そんなことないですよ! なに、え、てかほんとに行きましょーよ、ね」
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・・・・・・・・・・・
あぁ、会話をきれいに途切れさせて、小説を終わらせるなんてできないや。
もういいから、空見て終わりにしよ?
今日はたまたま記憶からもどってこれたけど、今度はもどってこれなくていいよ。
今 は……やっぱり疲れる。
空? 空。
いつのまにか暮れてる。
今度また、缶ビール片手にさ、ゆっくり眺めてあげるから。
初出:note 2019年5月頃