彩水

「わたし、もうちょっとゆっくり大人になりたかったの」

信(しん)くんにも聴こえるように、独り言。
スマホでTwitterのTLをぼーっと眺めながらソファに寝そべって。ずっと昔にUFOキャッチャーで取ったカービィのぬいぐるみを枕代わりにして。

「華子(はるこ)、なんか言った?」

今日は信くんが料理当番の日。キッチンに立っている姿を、わたしはまだ見慣れなくて。

「ううん、べつに……てかさ、なんか探してる?」

「粉チーズ」

「あーごめん、買ってないや」

「いいよ、じゃあ使わないから。……で、なんか言った?」

「なにも言ってないってば」

わたしは信くんにつられて笑う。

    ◆

18才で上京してからもう10年、恥ずかしくて振り返りもできないくらい、その場しのぎで生きてきた。
旦那の信くんとも、出会った時から、かれこれ5年が経つ。

最近のちょっとびっくりした話。
信くんが色水遊びを知らなかったこと。
世代の違いなのか、地方と東京の違いなのか、わからないけど。
子供の頃、一回くらいやったことあるでしょ? そう訊ねても、

「ない。てか、花からちゃんと色素取れんの? なんか濁って汚そう」

とか、失礼なことを言って。
だからわたしは、その時初めて信くんに、美夏(みか)が自作した『彩水 -Iromizu-』のホームページと、minneに出品しているページを見せてあげた。

    ◆

美夏のような人のことを、 アーティスト って言うのかもしれない。一緒に遊んでいた子供の頃は、正直なところ、ちょっと独特な女の子、くらいにしか思ってなかったけど。

小学校の高学年、そんな年になれば、もう色水なんかで遊んでる子はいない。花壇の花を無断でちぎったのを先生に注意されたりもしてた。

「ねー、そんなに楽しい?」

唯一の友達であるわたしさえ、子供なりに呆れてるって気持ちを伝えたくて。みんなと一緒に遊んで欲しいからって、無理やり手を引っ張って泣かせたこともあった。

「楽しくない、でもずっと見てたいの」

美夏が手に持った小さなビニール袋の中。
紫色の色水と、しおれた花。

    ◆

「美夏が持ってたあのビニール袋、ほんとはさ、めっちゃきれいって思ってた……透き通っててさ」

展示会の会場の下見に行った時の帰り、吉祥寺のカフェで。
美夏はその話を頷きながら聞いていて、嬉しそうに笑ってた。

    ◆

今でも会うたび、華ちゃんには感謝してる、そう言われる。
3年前に東京で再会するまで、毎日作ってた色水のことは完全に記憶から消えてたらしくて。

「華ちゃんが思い出させてくれたんだよ? だからわたし、もう一度自分の好きなことをやってみようって決心できたの」

    ◆

わたしはもう少しゆっくり大人になりたかった。
べつに今、なにか不自由があるわけでもないけれど。
会う人見る人、リアルで会う人、ネットでしか知らない人。みんな、自分なりの痛みや理不尽に折り合いをつけながら、それでも徐々に前を向いて歩いていく、それに焦ってるわけでもなく。
同じ歩調で、同じ喜びや悲しみのスイッチを持ってなくて、ごめんって思う。

    ◆

「ハンドメイドってどんな気持ち?」

「どんな?」美夏は首をかしげて、「出た! 華ちゃんのざっくり質問」

「いつもしてるみたいに言わないでよ」

「いつもしてるよ。小学生の時だってそうだったじゃん、色水ってそんなに楽しい? って。わたしあの時上手く答えられなかったの、覚えてるもん」

「真剣だからさ、ちょっと教えて? 今後の人生の参考にする」

「そんなハードル上げないでよ」

困ったような顔をして。
でもわたしは美夏のその顔を見たくて。

「なんて言ったらいいんだろー……なんか、土を掘ってる感じ?」

「へ?」

「その土の中に埋まってるはずのなにかを、掘り当てる……掘り当てれるかどうかもわかんないけど、ずーっと、いつか思い知るまで……って、そんな感じ」

    ◆

新作を郵送で届けてくれるそうだ。作品の制作と次の展示会の準備でどうしても忙しくて、今月は会えなそうにない、って。

窓辺に突き抜けるような日射し。
エアコンの利いた涼しい部屋から、外の世界を眺めるのが好き。いつもそんな風に生きてきた。

「華子……」信くんがなぜかベランダを指差してる。「女の子、いるんだけど……ほら、窓開けてあげたほうがいいかも」

わたしは振り向く。

そこに立っている少女。
きれいな透明のビニール袋に、赤い花の入った色水。
わたしは窓を開ける。夏の匂いがすーっと空気にかかり、エアコンの風と混ざる。

「はいどうぞ、はるちゃん」

汗を光らせて、小麦色の肌に日が当たって。
子供の姿になって会いに来てくれた美夏。わたしは彼女と同じ目線にしゃがみ込んで、差し出された色水に手を伸ばす。

その手にふれた瞬間、夢みたいに消えてしまって。

気がつくとわたしは、いつもどおりソファに寝そべっていた。
インターフォンが鳴って、ねぼけまなこのまま、あわてて玄関へと。


初出:note 2019年8月 noハン会 ハンドメイド小冊子