ちいさなビルの駐車場、コンクリートの地面、虹色の模様、広がっていて。
四枚の羽のように、鈍くきらめいて、反射して。
わたしはその羽の根元、たとえば蝶でいう身体の部分、ねむるように、そこに横たわっている、そんな光景が目の奥に浮かんでいて。
天気のいい日は、散歩をしてみましょう
横断歩道の脇、銀色の球体が落ちている。てのひらに収まるおおきさで、表面に少しだけ錆がくっつている。その球体が、天気のいい日は……と繰り返している。
手に取ってじっくり眺めてみるけれど、ボタンもなにもない。
「ねーなんだと思う?」
わたしは向こう側のわたしに語りかける。
『わかんない、ボール?』
向こう側のわたしは、いかにも興味なさそうに答える。
「なんの?」
『ボーリング』
「ちっちゃすぎでしょ」
球体の内部で音がする、砂が流れ落ちていくような音。
窓をあけて、部屋の換気をしてみましょう
「いやここ外だってば」
『ね、おもしろいね、そのボール。めっちゃしゃべるじゃん』
「ボールなのこれ」
『わかんない』
〇
花が咲いている、公園のはしっこ、二羽の蝶がまわりを飛んでいる。
母親と手をつないだ子どもが、蝶にさわりたそうに身体をぐぐ、と前に乗り出す。母親は、だめ、と子どもの手を引っ張る。
〇
教室の隅。
わたしと、向こう側のわたしが話しているのを、クラスのだれも、きっと知らない。
わたしは窓ガラスに向かって喋ってる、なんてことはない。
透明な向こう側のわたしは、蝶がいいな、なれるなら、と、笑いながら。
破けた爪の皮、いつもほじくってしまって、血が流れている。
〇
折り紙でちょうちょをつくってみましょう
「なに、この子さ、あたしたちと会話できてる?」
『会話?』
「テレパシー?」
『ちょうちょ見たからじゃない?』
「目ないよ、この子」
『感じるんでしょ』
「なにそれ」
わたしはしゃがみ込んだまま、その球体をまじまじと見つめる。折り紙でちょうちょを……と、繰り返している。
「ねぇコンビニに折り紙ってあるかな」
『ないでしょ』
「うそ」
『ねぇねぇ、ちょっとそれかして』
「あげる」
向こう側のわたしは、その銀色の球体を、さっきのわたしと同じように、まじまじと見つめている。
『未来から来たって』
「え、なにそれ」
『来る途中で壊れて、うまく動かないんだって』
「うん、見ればわかる、めちゃバグってるし」
『ううんちがう、あなたに伝えたいことがあるって』
〇
目の前をかすめる車、クラクションが鳴る。
信号はいつのまにか赤になって。
渡りきって、そうして、またあのビルの駐車場へ。
虹色の模様はなくなっていて。
赤い血の痕、コンクリートにこびりついていて。それは羽でもなく、いびつな形の痕で。
銀色の球体を抱えたまま、わたしはコンクリートの地面を見ていて。
〇
家に帰ってきて、鍵の壊れたわたしの部屋、カーテンを閉め切って、隙間から光が射して、埃がきらめいて。
「なに、なんかしゃべってよ」
あおむけになって、銀色の球体を両手で持って、目の前にかかげて。ゆらしてみたり、ふってみたりしても、反応がなくて。
枕元において、子どものころ、絵本に出てきたおまじないを唱える。
夢にあなたが出てきますように、のおまじない。
〇〇〇
目が覚めて。
埃の匂いは消えていて、開け放った窓、レースのカーテンがゆれて。
あのころと、ちがう部屋。
そのわたしはベッドに寝そべったまま、だれかと電話をしている。
ピンク色のイヤフォンを右の耳につけて、けらけらと笑っている。髪を染めていて、その耳たぶにピアスの穴が開いている。
「そう、それで声がめっちゃ似てたの、わたしの声と……うん、今、ううん、もう動かない、ずっと動かない」
〇
電話を切ったあと、そのわたしは泣いている。声が聴こえなくなったと泣いて、絵本のおまじないも思い出せない。
〇
近所のスーパーまで歩いていく。
途中、そのわたしは踏切をわたる、今日も電車が通過するのを、ずっと、あくびが出るくらい長い時間、待っている。
さっき泣いていたこと、その理由とか、意味とか。
忘れたい、忘れたくない。
どっちともわからなくて、きっとまた買い物から帰ってきたあと、泣いてしまう。
〇
透明の向こう側で、この場所で。
羽の真ん中のわたしが、向こう側のわたしが、今でもここにいる。
曇り空から光が射す、太陽は雲に隠れていく。
風のぬるさ、空気の匂い。
季節がまたひとつ、変わっていく。
初出:note 2020年頃(調査中)