メロディー

 故郷はどんなところだった? と訊かれるときもある。大人になったらだれだって。
 どう答えればいいのか、上京して十年以上経つ今でもわからないでいる。
 そういうのは、愛すべき人にちゃんと話したいから。
 中途半端なわたしの子どもっぽさ、なのかもしれない。

 あの田舎の外れの町、わたしたちのあの町。
 記憶として、かえりみるならば。

 家から出てすぐの細い道路に立ち並ぶ、さびれてペンキの剥がれかけた店々。個人商店の電器屋、判子屋、釣具店、タバコ屋。ちゃんと営業してる店が果たしていくつあるのかもよくわからない。その上、空は狭く、遠くの景色には必ずちいさな濃い緑色の山が見える。
 省吾が漕ぐ自転車のうしろ、わたしは、彼のギターケースを代わりに背負ったまま。自分たちのその町を、ゆっくりと、景色が流れるスピードにまかせて。
 通りを少し過ぎると、店どころか住居も点々としかなくなり、四方は畑とビニールハウスばかり。それらに囲われた狭い一本道を、車輪がゆらゆら動いていく。

 こんな風に、なんにもない町だった。だけど、唯一わたしと省吾がよく通っていた馴染みの店があって。
 カタカナで『メロディー』という店名の、こぢんまりとした喫茶店だ。高校生になったばかりのころ、省吾が紹介してくれなければ、ほかの多くの店と同様、営業してるのかどうかすらわからないままだったろう。
 放課後、少ないバイト代とお小遣いをやりくりしてほんのちょっと高いコーヒーをすすりながら、カウンターからいちばん近いテーブルで、勉強をしながら過ごした。たいてい省吾が遅れて現れる。コーヒーを頼んで、その日学校で起こったこととかを、おもしろおかしく話して。最後にはいつもの流れ、わたしとマスターと、マスターの奥さんに、自分の夢を語りはじめる。何度も何度も聞いた話だけど、わたしたちはいつも初めて聞くようなふりをしていた。

 彼とわたしの音楽の趣味はちょっと変わっていた。二人とも、親が所有しているレコードに多大なる影響を受けた。70年代、80年代のフォークソングや歌謡曲が中心。わたしたちはもう幼稚園に通っていたときからずっと一緒にいたし、小学生になるとお互いが部屋に古いレコードを持ち込み、赤と少し黄ばんだアイボリーのポータブルプレイヤーで聴きながら、歌手のまねをして、二人で歌うように口ずさんでいた。そういう遊びを他の子たちはしないらしいと知ったときから、わたしたちはお互いにきっとませてるんだろう、そのくらいの優越感を十年くらいずっと持ったまま、いつしか高校生になっていた。吉田拓郎、井上陽水、長渕剛、玉置浩二……いつかコンサートを見に行こうと約束したミュージシャンは数知れずだった。たわいのない話の流れで指切りしたその約束は、二人で東京に行く、東京で暮らす人になる、それと同じ意味だった。

 省吾はどこに行くにもギターを肌身離さずで、通っていた高校以外でなら、どこでも歌った。メロディーでも、よく常連客のおじさま、おばさま相手にその歌声を披露したり。しかも選曲は彼らの年代に合ったものだし、若くて愛想も良い省吾はいつのまにか町の大人たちの人気者になっていった。いつも省吾のそばにいるわたしも同じく、沙世ちゃんと呼ばれ、みんなに可愛がってもらった。
 この町は良くも悪くもおせっかいな人ばかり。いつのまにかわたしたちは町内会の一員にされていて、色んな活動に二人で参加した。小学生にまじって通学路の清掃活動をしたり、消防団の人と一緒に防災訓練を披露してみんなの前で下手な演技を見せたり。近所の小学校で行われた町内運動会では司会進行を担当した。テントに設営された席に座り、マイクに向かって、開会の宣言を行います、とか、○○町速い、一番でゴールです、○○町と○○町も最後までがんばれ! とかずっとしゃべり続けて、しまいには喉が枯れてしまった。省吾は次々に行われる各競技の準備で、お手玉を運んだり綱引きの綱を運んだりとひたすら力仕事に追われていた。
 家にこもって勉強するか本を読むかレコードを聴くか、小説を書くかしかしていない生活だったけれど、省吾と一緒ならこういうのも悪くないかな、なんて思っていた。最後は必ず彼と一緒に帰れるから。

 省吾とは中学まで一緒だった。高校は別々だったけれど、中学のときまで見ていた彼は、友だちもたくさんいて、男の子からも女の子からも好かれて、周りの期待があるとニコニコと笑顔で応えるようなタイプだった。
 彼に本音があるとするならば、それはわたしにだけ見せてくれていたのかも、なんて思う。
 高校生になってからは、放課後、メロディーで待ち合わせたり、学校帰りのわたしの最寄り駅(たぶん、東京の人が想像する駅とはちがう景色だと考えてほしいかも)に自転車をつけて待ってくれていて、そのままバイト先まで送ってくれたり、ほとんど毎日、お互いが会えるかぎり時間を合わせていた。
 二人きりの時間は、たとえようのないほど特別なものだった。
 この町を好きと嫌いに分けるとするならば、省吾と一緒に過ごす時間と、そのときに見える景色が前者で、それ以外はすべてが後者だった。二人きりで、自転車の車輪をゆらゆら転がして、ビニールハウスや畑の真ん中を走りながら。あるいは、日が暮れかけたころのメロディーで二人一緒の席につき、心地よいすっぱさのコーヒーを飲んでいるとき、そこで終わらない夢を語り合っているときにしか、わたしのこころは満たされなかった。

 彼の自作した歌は、もしかするとプロの世界では通用しないようなレベルだったのかもしれないけれど、わたしは好きだった。素直で、おおらかで、でもこころの奥はとても繊細な、彼の性格が滲み出ているような歌だった。いつか武道館で、アコギ一本の弾き語りライブをやりたいっていうのも何度も聞いた。

 夢を語る、その言葉は十数年前のわたしたちにとって、とても美しい響きだった。
 今の若い人たちは自分のありあまる才能を披露できる場がたくさんあるけれど、その瞬間から顔の見えない誰かとの終わりなき競争がはじまっていく。
 夢から醒ませてくれなかったこの町に、わたしは、わたしたちは、感謝すべきなのかもしれない。

「サインだよ、サイン。自分の作ったんだ」
 省吾は子どものように目を輝かせる。いつか紅白歌手にでもなったらさ、この店に飾ってよ、と、スケッチブックに黒のマーカーをさらさらとすべらせて、わたしに見せつけた。
「可愛いね、なに、そのピースマーク」
「音楽で世界を平和にって意味だよ、恥ずかしいから言わせんなって」
 そのままそこに置いといていいよ、とマスターは言う。
「省吾は今でもこの町のスターなんだから、今だっていいだろ。ほら、そしたら沙世ちゃんも」
「え、あたし?」
「作家になりたいんだろ」
 ただフルネームを丸っこく書いただけの簡単なサインを、スケッチブックに書いてみた。省吾は満足げに、いいじゃん、と何度も頷いた。
 それでも飾るのはいやだとごねると、マスターは、
「わかった、二人の夢が二人とも叶ったら、俺が勝手に飾るよ、それまで持っておくから」
 そう言って笑った。
「俺のピースマーク、沙世のにも描いていい?」
「いいけど……あ、じゃああたしが描く。省ちゃんよりはうまく描けそうだから」
 高校二年生、冬の終わりごろ、そばに置かれたストーブがしゅうしゅうとうなっていた。マスターの奥さんがへたを切ったいちごを皿に乗せて運んできてくれた。湯気を立てたコーヒーと一緒にいただく。いつもどおりの、ほのかにすっぱい味。

 進路相談で、わたしははっきりと東京のとある国立大学に行きたいと先生に告げた。今の学力だと難しい、そう言われて他の地方の大学を進められたけど、わたしは頑として意見を曲げなかった。その日以来、わたしはほとんどメロディーに通うこともやめて、自宅で受験勉強に励んだ。
「作家になります」
 文学部を志望する理由を問われてそう答えた。
 なりたいですじゃなくて、なります、なんだな、と先生は苦笑していたっけ。

「いつか沙世の書いた小説がドラマ化されてさ、そのとき、俺の歌が主題歌になるんだ、そんなのがいいじゃん」
 これも省吾のよく言っていた言葉。
 この人はなんにも飾らない、ただ思うままに言葉をかけてくれる。そのおかげで、わたしも夢を追いかけることができた。一人では絶対に思い続けられなかっただろう。

 受験勉強の合間、寝る時間も惜しんでいたその時期でさえ、わたしは小説を書かないでいられなかった。
 時間がない、と焦りに急き立てられていた。
 この町にいられる時間だ。
 それがあと少ししかないことも、わたしはなんとなくわかっていた。

 わたしにとっての小説は、故郷の景色への悔恨そのものだった。
 この町でもっと省吾といろんなことを知って、もっと省吾と深く言葉を交わしたかった、その悔恨。
 わたしは自分がここを出ていくことを知っていた。
 未来の景色はいつもぼんやりとわたしの頭に浮かんでいて、だけどそこに省吾の姿はない。着ている服はこの町のショッピングセンターの服屋で手に入るものじゃなく、歩いている町はこの町じゃなかった。その景色がすぐそばで、手にとるようにわかる。

「沙世の書く小説好きだよ、でも正直さ、すごすぎて、ちょっと嫉妬しちゃうんだよな」
 省吾が弱音を吐くときは、たいてい自分で曲が書けなくなったときだ。
 浮かれた孤独な夢を一緒に見ている者同士として、わたしに嫉妬するくらいならもっと音楽に打ち込んで、自分自身を研鑽してほしかった。でもそんな風に突き放してしまうと彼は深く傷つくだろう。なによりできるわけがなかった。
 わたしも彼も、この静かな町に二人きりで、お互いを守り合っていたかった。そうしないと、自分たちの存在が冷たい冬の風に吹き飛ばされてしまいそうだった。

 省吾のお父さんの病状は日に日に深刻さを増していた。省吾は毎日のように病院へ通い、お母さんとともに介抱を続けていた。
 わたしは自分自身のために勉強と執筆に時間を割き続けていることを、どこか後ろめたく感じていた。
 省吾はたぶんずっと早い段階で覚悟を決めていたのだろう、もう東京へは行けないと。お互いが了承し合っていたその約束を反故にしてしまう、彼のその苦しみをわたしは想像して、ときには泣いてしまうこともあった。それも、彼の前で。
 彼はそういうとき、どうしていいのかわからなかったのだろう、広い畑の真ん中で、カラスの鳴き声と遠く流れる車の音しか聴こえない夕方、背負ったギターケースが重く感じた。それは省吾の夢の重さだった。自転車は止まり、前に乗る彼はわたしのすすり泣く声が聴こえるはずなのに、振り返ろうとしなかった。わたしも彼の背中にふれたくても、できなかった。
 もしかすると、ただ単に身体にふれることができれば良かったのかもしれない。それで未来が変わることはないけれど。
 その悔恨が、いつまでも残るとするなら。

 高校三年生、そこからの一年間は、お互いがいちばん辛い時期だった。
 わたしたちは次第に会うこともなくなっていった。省吾はきっと、あれほど好きだったギターを弾くこともなくなっていっただろう。
 わたしは省吾のもとへ行くべきかずっと迷い続けながら、結局は自分がいちばん楽になれることを選んだ。勉強と、そして執筆だった。

 その時期、母親からはよく省吾のお父さんの病状を聞かされた。日常生活の中で、母親とのほぼ唯一の会話がそれだった。会話でもないかもしれない。一方的に彼女が話すのを、頷いたり、うん、とほんのちいさく返事をするだけだ。ほんとうは聞きたくもなかった。
 そのうち、病状の話すらしなくなった。
 省吾のお母さんから金の無心をされたようで、断ると泣いてすがりつかれ、わたしたちは生きていけない、と。省吾のお母さんは病弱な体質で、結婚してからは買い物と通院以外、家から一歩も出ないような生活だったらしい。どこの家だって苦しいのに、よく言えたものよね、と母親は毒づいた。そう言いたい気持ちもよくわかるけれど、娘の前では言葉に出してほしくなかった。

 三月のはじめに合格発表があり、わたしは無事、第一志望の大学に受かった。
 ほっと胸を撫でおろすのと同時に、この先、きっとどこまでも満たされることのない、省吾と約束した終わりなき夢を、いつまでわたしは追いかけられるだろうと、もしかするとはじまってもいないのに、またわたしは未来の景色を眺めながら考えていた。

「あたし、合格したよ」
 省吾の携帯電話に連絡して伝えた。まともに話すのはほぼ数か月ぶりだった。
「やったじゃん。よかった、俺、沙世なら大丈夫だって思ってたよ」
 わたしの前では言葉少なになる彼が、精一杯言葉を尽くしてねぎらってくれた。
「親父にも必ず伝えるよ、ずっと気にしてたからさ」
 ほぼ同じタイミング、たしか合格発表の日の翌日、省吾のお父さんは息を引き取った。
 葬儀にはわたしも、わたしの家族も全員で参列した。何人かには、合格おめでとう、とこっそり言われた。東京の大学、すごいわね、って。省吾くんの分までがんばってね、って。
 喪主である省吾のお母さんのそばにずっとついていた彼は、わたしのほうをちらとも見なかった。わたしはそれでもう終わればいいのだと思っていた。最後に、携帯電話越しにでもちゃんと会話ができたんだから、それでいいんだって。

 その後、省吾はお父さんの知り合いのつてで就職が決まった。ちゃんとは聞けなかったけれど、地元の不動産関連の仕事らしい。
 わたしはしばらく抜け殻のような気持ちで過ごしながらも、来月からの新しい生活の準備を淡々と進めた。卒業式の直後には一度日帰りで上京して住む場所を決めた。板橋のちいさなマンションだった。

 三月の末、引っ越しの前日に省吾から連絡があった。夕方、メロディーに来てほしい、と。
 まだあわただしく過ごしているはずの彼から、そうやって誘ってくれたことが嬉しかった。だけど、どんな話をしていいのかすら、もうわからなくなっていた。

 午後五時半、メロディーの扉の前にはなぜか『貸し切り』と書かれた張り紙があった。その扉を開ける、ちりんちりんと風鈴の音が鳴る。店内にはいつもと同じように、マスターと、マスターの奥さんと、そして省吾がいた。「あ……沙世、おかえり」
 その言葉を聞いた直後、ひとりでに涙が溢れ出した。
 いつものように、おう、とか、おつかれ、とかじゃなく、あえてその言葉を選んでくれた優しさに、わたしは逆になにも言うべきことが見つからなくて、うん、うん、と頷いていた。

 あのカウンターにいちばん近いテーブル、省吾が座っている席にわたしも座ると、誰よりも嬉しそうな顔をしたマスターの奥さんがホールケーキを運んできてくれた。
「え、なに?」
「なにって、あれだよ、遅くなったけどさ、沙世、誕生日おめでとう」
 おめでとう、おめでとう。それから、三人分しかないちいさな拍手。それはとても温かくて。
 
 いつもどおりの少しすっぱいコーヒーとともに、ケーキをほおばりながら、わたしたちが話したのはほんの数分ほどだったのかもしれない。
 お互いのこれからのことはあえて話題に出さなかった。
 いろんな思い出話だ。知らないおばあちゃんが所有している土地の草刈りをさせられたこととか、近所の酒屋さんの飼ってた猫が脱走して夜が来るまで探し回ったこととか、どうしてもほしいレコードがあって隣の市の中古レコード店に二人で足を運んだこととか、わたしがバイト先の男の先輩としゃべってるとこを省吾が見つけてしばらく拗ねていたこととか、いくらでも出てくる。

 いつのまにか、一年前と同じように、でも少しちがう、なにか肩の荷が下りたように、二人ともが感じてた、辛かったことより、楽しかったことをいくつも思い出して、笑っていた。
 気がつくと店内にマスターたちはいなくなっていた。気を遣って、二階の自分たちの部屋に戻ってくれたのだろう。

「俺さ、歌、作ったんだ。自分で言うのもなんだけどさ、良い歌なんだよ。なんでかって、たぶん、自分だけで作った気がしないからなんだよ、沙世と二人で作ったんだよ、きっと」
「聴かせて」
「うん」
 そばに置いてあるのはいつもの見慣れたギター。それを手に取って、省吾は、いつも聴くよりずっと丁寧に、繊細に歌ってくれた。
 まるで、何十年後かのわたしたちがこの町を思い返して歌っているような、おおきな時間の流れを感じさせる、不思議な歌だった。
「タイトルなんだけどさ、 メロディー っての、どうかな。この店の名まえと同じ」
 歌い終えたあと、省吾はあの得意げな少年の顔に戻って、そう訊ねた。
「うん。いいと思う、すごく、いい」

「なんにも、言わなくていいからな」
 店を出ると外はもう真っ暗だった。
 二人とも、その空を仰いだあと、お互いの表情をたしかめるように見つめて。
 省吾は目を赤く腫らしながら、わたしに最後の言葉をかけてくれた。
「東京行ったらさ、俺のこと忘れてくれよ。……小説、がんばって、大学で勉強しながら書いてさ、でもべつにさ、もしも向こうでちがう夢ができたら……それを追ってもいいと思う、もし好きな人ができたら、うん、その人のこと追ってほしいし……報告も、なんにもいらないから、約束も、俺はなんにもしてない、だから、沙世はこの先、なんにも背負わなくていい」
「うん、うん」
「がんばれ、沙世」
「うん」わたしは彼の頬に流れる涙をぬぐう。「ありがとう、省ちゃんもね、わたしのこと、忘れて、幸せになって」
 はじめて彼の顔にふれた。温かくて、やわらかい感触だった。
 省吾も同じように、涙で濡れたわたしの頬にふれた。その手は数秒のあいだ、離れなく、どうかすると永遠のようだった。

 省吾の言葉通り、わたしは東京で忙しく暮らすうち、いつしか小説を書かなくなった。書けるだけの悔恨は、省吾があのとき、すっかり、きれいに全部、なくしてくれたから。
 それにこっちも言葉通り、いつしか恋人ができたり、かと思えば別れたりして、それだけじゃなく、わたしはいろんなことを懸命に過ごした。
 今だに都会のスピードは落ち着かなく、時間が一瞬で過ぎ去るあわただしい生活だけど、今も思い出そうとすれば、あの歌声、あの歌はわたしのこころに聴こえてくる。

 故郷、という大切な言葉の意味を、わたしはいつか愛すべき人にゆっくりと話したい。
 そしてだれもが、記憶の延長線上で、引きずらないものなんてなく、場所は違っていても、あの自転車の車輪のよう、ゆらゆら影をつれて、回っていくだけなんだってことを。


初出:note (2020年頃)