室内くじら水槽
しつない・くじら・すいそう
不思議な夢のなかに、きみがいたよ
だれもいない家、帰ってきたばかりのわたし
制服のボタンひとつ外して、首もとの汗、指でぬぐって
その小指に絡まってた虹色の糸
廊下を伸びて、洗面所のほうまで
わたしはそっちへ歩いてく
洗面所に入ると、糸はまだ続いてて、お風呂場の扉の中へ
そうしてわたしは、扉を開けた
そこは容器みたいな青空、雲よりも高い場所
ずっと真下、おおきな、まんまるの水槽
扉が空に浮いてる
シャワーと水栓、そばに引っかかってて
空中、身体を投げ出されたわたし、目の前のシャワー、あわててつかんで
髪と制服、冷たい水、濡らして
水滴と一緒に落ちてく
長いながいシャワーホースも、一緒に
雲にふれ風にふれ、落下中
こわくなって目をつむる
そしたらいつのまにか、おおきな水槽のはしっこに、立ってたんだよ
向こう側が見えないくらい、おおきな水槽
世界中の涙、ぜんぶ集めたような、たくさんの水
三頭のくじら
わたしの住む街よりずっとおおきな、くじらたちが泳いでた
声を出してたよ、り、り、り、って、鈴のコーラスみたいな
わたしははじめて、くじらの声を聴いたよ
り、り、り、り・り・り
くじらにとってはちいさな、バケツみたいに窮屈な水槽
三頭、お互いのしっぽを追って、まんまるに泳いでた
きみは水槽のはしっこに座ってた
くじらなんて気にもとめず、こっちへおいでって、笑ってたね
むかし、ママから聞いた話
お姉ちゃんはいたんだよ、ママのおなかのなかにね、って
きみは少し先にここへ来て、ずっとわたしを見てたんだね
空を見上げると、ずっと高いとこに、あのお風呂場の扉
扉の向こうの世界は、今、どうなってるの?
どんなニュースが流れて、友だちはどんな声を聴いてる?
信号が変わるたび、だんだん陽が沈む、街は夜になってく
また朝が来て、重たい足、引きずって学校へ
立ち止まるたび、階段でも、横断歩道でも、SNSは開いちゃうし
そしたらだれかが今日も、消えちゃいたいって叫んでる
すぐにスクロールしてさ、忘れちゃうんだよ
くじらは高くたかくジャンプする
涙の水は、くじらの身体を玉のように流れる
そしてくじらはその身体を、水面に打ちつける
わたしたちは笑い合ったよ
もうすぐあの水が降ってくる
たくさんのしぶきで、びしょ濡れになって、笑って
涙が集まると、記憶に変わるみたいだよ
り、り、り、り・り・り
くじらにとってはちいさな、バケツみたいに窮屈な水槽
三頭、お互いのしっぽを追って、まんまるに泳いでた
作り物の太陽、水槽にひびが入る
わたしたちはもうすぐ来るおわりを、予感してる
いつでも、予感してる
もう一度、記憶の水が欲しくなったよ
もう一度
やがてぼろぼろと崩れてく水槽
かさぶたがはがれるみたいに、ゆっくり
水は外側の海へ流れ込み、混ざり合う
やっと海に出れた、くじらたち
まんまるに、窮屈に、泳がなくていいね
お風呂場の扉は、わたしの目の前に落ちてきて
ばいばい
きっとまた来るから
わたしは扉を開けて、リビングにもどろうと思ったよ
初出:note (2020年頃)